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リトルスクールで作成されていたアレクサンダー・タイムズを調べました。現存している者は1929年から1934年までで、手書きやタイプ打ちされた文書が留められているものです。リトルスクールは1924年に始まった子どもの学校で、FMのレッスンを受けたり、アレクサンダーのワークを基礎に置いて通常の授業が進められていました。1943年に米国から帰国したFM達はリトルスクールを再開する予定でしたが、残念ながらそれは叶いませんでした。

アレクサンダー・タイムズの内容はリトルスクールの教師や生徒、スタッフによって書かれた文書や絵で構成されています。子どもたちが自身の体験を文章にして著しているものは、当時の学校でどのようなことをしていたかうかがうことができます。授業や暮らしの中で手段を吟味すること・means wherebyの道筋をどのように進めていたかも書いています。

アレクサンダー・タイムズの現物をみたのが9月後半でしたが、Mouritzから11月に発売されました。スキャンされているので紙面そのままを読むことができますが、いくらか筆記体の文章もあります。その他、ワークの原理を取り入れて書いたプロットなど興味深いものもあります。

FMの脚本を探すために大英図書館に行き、閲覧室を利用するためのリーダーパスを作成しました。初めての登録ではホームページから事前登録をすることでスムーズ手続きが進むようでしたが、今回はそれをせずに行きました。登録所ではパソコンを使って事前登録と同じものを入力するので、事前登録を済ませてから行った方が時間はかからないでしょう。登録には写真付きの身分証明書と英語の現住所の証明書が必要だったので、今回はパスポートと国外運転免許証を利用しました。

「マニュスクリプトの閲覧室で読めるよ」と聞いただけなので探すのに苦労しました。脚本はコレクションの一部に含まれているのでカタログを検索してもでてきません。最終的に閲覧室の目録から探して二つのバージョンを見つけました。閲覧室への資料の取り寄せは、司書の方に聞いて取り寄せ方を教えてもらいました。脚本は両方とも写真撮影が禁止されている資料ですので、現場でしか読むことができません。

脚本にはいくつか手書きで修正や加筆がなされていました。しかし誰がしたのかは不明です。作者なのか提出先なのか…。一部の筆記体は読み取れず、司書の方に何度か教えてもらいましたが、結局、読み取れないものもありました。機会があったら是非探してみてください。

イギリス滞在中の合間にオランダのスキン・オプ・グールに訪問しました。目的はFM関連で博士論文を書いたスターリン博士に会うためです。彼は2005年にその論文で医学博士号を取得しました。論文自体は著者からの購入なので日本からだと入手は難しいかもしれません。

9月11日早朝、ロンドンのスタンステッド空港からオランダのアイントホーフェン空港まで、ライアンエアーで行きました。スターリン博士が空港まで向かいにくてくれて、アイントホーフェンの街を経由してバスと電車でスキン・オプ・グールまで行きました。博士によればスキン・オプ・グールは若者が年々少なくなっており、買い物は電車で隣の駅に行く必要があるそうです。

博士のお宅に到着したのはお昼頃で、さっそく資料を見せてもらいました。10日まで14日まで毎日通い、終日大量の資料と格闘していました。お店もないためお昼ご飯もごちそうになり、最終日にはレストランでオランダ料理をいただきました。食事中にはワークや論文について話しましたが、AT教師でわざわざ訪ねに来た人はいないそうでした。また、AT教師はまじめすぎて面白さが足りない、コミュニティは閉鎖的で研究者と共同しにくいとも言っていました。

博士は現在もATの歴史に関する論文をいくつか発表しています。

オランダにはライアンエアーで行きました。事前のチケット印刷やVISAチェックのお忘れにご注意を。

1904年にロンドンに渡ったFMアレクサンダーは、俳優をやめても演劇界にかかわりを持ち続けました。ロンドンでのエピソードの中でも、特に知られていないことがあります。最初に発見したのはジェローン=スターリン博士でした。博士の発見によると、FMはガールフレンドのエブリン=グローバーと「クエスチョン・オブ・タイム」という脚本を作りました。

この脚本はランカシャーのある家族が題材となっています。登場人物は4人、ランカシャーの農夫である父親、その妻、その娘、娘の恋人。夜の11時、娘が自分の部屋にある暖炉のそばで椅子に座って寝ているところから始まります。そこに彼氏が窓から現れ逢引しているところに父親が登場し彼氏は大きな古い時計に隠れる、父と娘の押し問答で最後には時計が倒れ、母親の呼ぶところへ父と娘は退場します。最後に娘が振り返ると、彼氏は無事に時計から出てきてハッピーエンド、といった短い喜劇になっています。

博士は一度も公演されることはなかったと言っていましたが、1908年当時の新聞から三つの記事を発見しました。記事から推測すると、公演されたのは1908年10月26日、有名俳優が出演する演劇の前座みたいなもので、観客の記憶には残らなかったようです。

FMの生徒に俳優がいたことはもちろん、後の教師養成コースで演劇をしたように、FMは演劇から離れることできなかったようです。脚本の草稿は大英図書館で眠っています。

2017年に撮影したもの(左)と1900年前半に販売されたポストカード(右)です。

アシュリープレイス街アシュリープレイス街

奥にウェストミンスター大聖堂が見えます。現在は左側は商業施設で、右側はマンションとなっています。第二次世界大戦中には爆撃を受け、建物は被害を受けました。当時の地図を参考に位置関係を調べると、ポストカードには16番地の玄関が見えます。

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