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1904年にロンドンに渡ったFMアレクサンダーは、俳優をやめても演劇界にかかわりを持ち続けました。ロンドンでのエピソードの中でも、特に知られていないことがあります。最初に発見したのはジェローン=スターリン博士でした。博士の発見によると、FMはガールフレンドのエブリン=グローバーと「クエスチョン・オブ・タイム」という脚本を作りました。

この脚本はランカシャーのある家族が題材となっています。登場人物は4人、ランカシャーの農夫である父親、その妻、その娘、娘の恋人。夜の11時、娘が自分の部屋にある暖炉のそばで椅子に座って寝ているところから始まります。そこに彼氏が窓から現れ逢引しているところに父親が登場し彼氏は大きな古い時計に隠れる、父と娘の押し問答で最後には時計が倒れ、母親の呼ぶところへ父と娘は退場します。最後に娘が振り返ると、彼氏は無事に時計から出てきてハッピーエンド、といった短い喜劇になっています。

博士は一度も公演されることはなかったと言っていましたが、1908年当時の新聞から三つの記事を発見しました。記事から推測すると、公演されたのは1908年10月26日、有名俳優が出演する演劇の前座みたいなもので、観客の記憶には残らなかったようです。

FMの生徒に俳優がいたことはもちろん、後の教師養成コースで演劇をしたように、FMは演劇から離れることできなかったようです。脚本の草稿は大英図書館で眠っています。

2017年に撮影したもの(左)と1900年前半に販売されたポストカード(右)です。

アシュリープレイス街アシュリープレイス街

奥にウェストミンスター大聖堂が見えます。現在は左側は商業施設で、右側はマンションとなっています。第二次世界大戦中には爆撃を受け、建物は被害を受けました。当時の地図を参考に位置関係を調べると、ポストカードには16番地の玄関が見えます。

英国ウィルトシャー州ランズベリーはかなり昔からアレクサンダー家が暮らしていました。F.M.アレクサンダーの祖父マサイアスは農業の機械化に抵抗してスウィング暴動に参加したことで、一緒に参加した兄ジョセフと共にヴァン・ディーメンズ・ランド(タスマニア島)に流刑にされました。後に弟のジョンが豚を盗んだことで流刑とされ、タスマニアで合流します。

ハイストリートに面して建てられた教会は200年以上前から存在し、修繕を繰り返しながら維持されました。アレクサンダー家の墓石は時の流れとともに名前が削れているので、墓石群の場所しか判別できませんでした。墓地は地元住民のお散歩コースになっているようで犬の散歩をしている人と何度かすれ違いました。教会内部にあるパイプオルガンは1838年に寄贈されたもので1960年まではボロボロの状態だったようですが、現在は修復されています。

FMアレクサンダーの購入したペンヒルの家はシドカップ駅から約1マイルの距離にあったと言われています。しかしベクスレーのアーカイブセンターにはほとんど資料がありませんでした。彼が購入する以前に売り出されたカタログと1950年頃に手放した後に解体する写真が残っていました。

ペンヒルハウスはもともとペンフィル農場から分譲されたもののようです。現在では住宅地となっており、関連したものは残っていません。しかしペンヒル・ロードにあるペンヒル・ブリッジは当時からあるのかもしれません。

FMアレクサンダーは自身の過去をあまり話したがらない性格だったようでした。先祖が流刑でタスマニア島に来るまでは英国のランズベリーという村でアレクサンダー家は生活していました。ランズベリーはGreat Western Railwayでスウィンドンまで行き、そこからバスでランズベリーに向かいます。

FMは自分の過去について秘密主義だったようで、先祖についてほとんど語っていません。スコットランド系の血筋だと言ってたとか。彼が生まれたときに祖父はすでに他界していましたが、母方の離婚した祖母は当時まだ存命でした。母方の家系はタスマニアにはお墓や生家がまだ存在しています。アレクサンダーの父系の祖先はスウィング暴動に参加し、ヴァン・ディーメンズ・ランド(タスマニア)に流刑となりました。

タスマニアに来る以前のアレクサンダー家はランズベリーに暮らしていました。FMのご先祖たちのお墓はその村の教会に今もあります。墓地が設立された初期から埋葬されているようで、古い区域に墓石はあります。

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