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メルボルンから北西に約150キロメートル、電車で2時間ほど言ったところへ、ニュージーランドリサイタルツアーから帰ったFMは自分の宣伝を含めてベンディゴへリサイタルをしに行きました。当時の新聞記事にはメイソニックホールでリサイタルをした後に2週間ほど滞在してレッスンをすると告知があります。現在メイソニックホールは名前を変えて美術館となっています。

ゴールドラッシュ時代には中国人移民も働いていたようです。中国文化が街中に残っています。街を一望できる展望台がありましたが、当日は風が非常に強く、揺れていました。

メルボルンから電車に乗って11時間の旅です。この列車(Overland)は1887年からある路線で、おそらくFMが公演のためにアデレードへ行ったときは列車に乗ったでしょう。

サザンクロス駅のトイレの正面にあるLuggage Hallで荷物を預けた後に、近くのゲートでまっていれば、受付時間になると添乗員の方が立つので、印刷した予約表を見せてチェックインします。ここまでの手続きが日本語の情報では説明されていないので、多くの人は飛行機で行ったり軽装でいくのでしょう。

エコノミー席なので広くはありません。最終的にはカフェ車両に居場所をみつけてのんびり過ごしていました。到着したのは夕方でしたが、まだ明るかったので1時間ほどかけて都市部に歩いていきました。アデレードの中心部は公園に囲まれている特徴的な作りをしています。

この度の期間ほとんどをユースホステルに泊まり続けていたのですが、トラブルが多くなくとも起きており、今回は停電で遅くまで明かりがつかない状態になりました。

そして中心部から少し離れたところに、『Up from Down Under』の著者のところへ行きました。前年にFMのドキュメンタリーを購入していたことを覚えていてくれて、今回も歴史調査をしていると言ったら快く受け入れてくれました。2日間の訪問でしたが、お友達を紹介してもらい、ご飯もごちそうになりました。

ここでは音楽・教育・歴史関連の資料を小さなダンボール一箱分くらいいただけたので、アメリカで集めたものと一緒に日本に発送しました。

FMアレクサンダーはメルボルンで俳優生活をはじめました。コンペティションに優勝し、いざプロとして活躍しようとしたところで失声になりました。おそらく当時の演劇訓練を基礎とした改善法に取り組んだと思われます。失声から回復後に公演活動をいくつかしました。その後タスマニアとニュージーランドでツアーをおこないます。

メルボルンに帰ってきたアレクサンダーは俳優と教師の2足のわらじをやっていました。自分を宣伝するためにツアーをメルボルンを中心に100km圏内の街でも公演活動とレッスンをしていました。彼が公演していたホールは今も健在で、今も多くの演劇が催されています。

彼が教室として借りていたオーストラリアン・ビルディングはすでに存在していません。しかし、彼がアマチュア時代に働いていたデパートのビルや楽器屋(現在は移転)が現在も残っています。

また、アレクサンダーファミリーの過ごしていた家は、現在は個人宅になっていますが、今も残っています。

そして毎年11月の第1火曜日はメルボルンカップで、正装した人たちが競馬場に集まります。アデレードに行く日がちょうどそのメルボルンカップでした。

10月末にシドニーへ到着しました。シアトル滞在を短くしたおかげで、およそ1週間ほどの滞在ができました。

ここではATのレッスンとニュー・サウス・ウェールズ州立図書館に行きました。

レッスンはテーブルワークを受け、卒業生とチェアワークのエクスチェンジを少しだけおこないました。

図書館ではスチュワート=マッケイ医師とエクワイタブル・ビルディングについて探しました。マッケイ医師はアレクサンダーのロンドン行きを決めるきっかけを与えました。彼はFMの公演を観た後レッスンを手配しています。実はメルボルンの友人からFMを手助けするようにお願いされたようですが、彼は自分の目で見てから判断しようと考えていました。彼の手記には、この時期の二つの注目すべき出来事としてFMとの出会いが述べられていました。

エクワイタブル・ビルディングはシドニーに移住したFMが借りたスタジオです。このビルは現存しているものの、どの伝記にも写真が掲載されておらず、当時の広告の住所をヒントに探しました。区画整理で現在の住所とは違いましたが、無事発見することができました。このビルの天井にはステンドグラスが備え付けられており、第二次世界大戦で爆撃にあいましたが現在は修復されています。

もうひとつ、1902年に短い期間でしたがキャッスルリー・ストリートとハンター・ストリートの交差点にシドニー・オペラティック・アンド・ドラマティック・コンセルヴァトワールが開設されていました。建物は現存していません。

11月の2週目にはメルボルンに向かいました。

アメリカの旅の最後にシアトルに行きました。シアトルに在住されているAT教師のキャサリン=ケトリックさんに会いました。彼女の作成したスタディガイドはアレクサンダーの本を読む教材としてお世話になっています。また彼女は第1世代の教師マージョリー=バーストーの合宿の世話役を長年勤めていらっしゃと聞いています。

彼女のところへは全部で2日行きました。1日目は教師養成コースの授業に参加しました。国土の広いアメリカでは遠方の練習生が多いようで、今回の授業はスカイプを使っておこなうアレクサンダーの本に関するディスカッションでした。『いつでも穏やかに暮らすには』の「抑制」のところに関して議論しました。日本ではアレクサンダーの本を使って授業をしているところはATJ以外であまり知りませんが、他にどこかでやっているのでしょうか。読んだことがないとか知らない教師の方が会った中では人数的に多いです。来年にはFMの著作が全て日本語で読めるようになっていると嬉しいです。

二日目は声楽の人との授業にお邪魔しました。チェアワークとかライダウンとか手順から始まるのではなく、「今日は何したいか」という質問から授業は始まります。こちらではアクティビティを利用したワークをおこなっています。伝統的なスタイルで授業を行う学校とそうでない学校で比較されることが多くありますが、原理が理解されていれば手順でもアクティビティでもATというかFMのワークは学ぶことができると思っています。

ここでのミッションはもう一つ。『自己の使い方』にあるマージョリー=バーストー(マージ)の紹介文の著作権保持者を探すことでした。Centerlin Press社はすでに存在がなくなっており、マージの著作権保持者も不明でした。出版社が出した本自体の著作権は切れていてもマージの著作権は生きています。結局、その場では解決できませんでしたが、今年の夏に保持者がわかって権利を得ることができました。

もうすぐ『自己の使い方』も本屋で買えることになります。岡山教室には他にもマージの書いた記事・インタビュー・ワークショップのビデオがあります。

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