アレクサンダー探訪(8) ウォルター・カーリントン・アーカイブ - 2021年08月04日 02:05

意識的調整実践センター

アレクサンダー探訪(8) ウォルター・カーリントン・アーカイブ

(更新:) by tomo

9月後半ごろ、ウォルター・カーリントン・アーカイブに行きました。

アレクサンダー・タイムズ

リトルスクールで作成されていたアレクサンダー・タイムズを調べました。現存している者は1929年から1934年まで。手書きやタイプ打ちされた文書が留められているものです。リトルスクールは1924年に始まった子どもの学校で、FMのレッスンやワークを基礎に置いて通常の授業が進められていました。1943年に米国から帰国したFM達はリトルスクールを再開する予定でしたが、残念ながらそれは叶いませんでした。

内容はリトルスクールの教師や生徒、スタッフによって書かれた文書や絵で構成されています。子どもたちが自身の体験を文章にして著しているものは、当時の学校でどのようなことをしていたかうかがうことができます。授業や暮らしの中で手段を吟味すること・means wherebyの道筋をどのように進めていたかも書いています。

アレクサンダー・タイムズの現物をアーカイブで閲覧しが9月後半でした。その後、Mouritzから11月に発売されています。スキャンされているので紙面そのままを読むことができますが、いくつか筆記体の文章もあります。その他、ワークの原理を取り入れて書いたプロットなど興味深いものもあります。

FMにとって子供の教育は重要課題でした。アイリーン=タスカー女史1とマーガレット=ゴールディ女史2は特にリトルスクールへ貢献しました。教師養成訓練中の練習生も教育実習等で子供達との関わりを持ちました。

裁判について

この裁判の概要は、スターリン博士の論文(概要)にあります。1955年と1958年に起きた継承に関する裁判です。

FMの死後、末弟バーモント=アレクサンダーがアレクサンダー教師の認定する権利やFMの著作権を引き継ぎ、パトリック=マクドナルドをアシュリープレイスに呼んで教師養成コースを継続しました。3その後バーモントは他の教師と「アレクサンダーテクニーク」の使用権や認定制度の権利で裁判となり、著作権以外は解放されることになりました。その後、英国内の教師たちの努力によってSTATがまとめ役となり、ATの学校基準が定められました。この裁判の詳細が今後公開されることになるのかわかりませんが、歴史の中では大きな意味を持つ裁判です。


  1. 2021年に伝記が発売されました。 ↩︎

  2. 南アフリカに移ったタスカー女史交代でリトルスクールの校長となりました。 ↩︎

  3. 当初はゴールディも相続人に含まれていたが書き換えられたようです。 ↩︎