「ガーニー=マキニスの覚書」から

はじめに

先日、ATKの勉強会で「『ガーニー=マキニスの覚書』から」と題して紹介と議論をしました。

自分の調査成果を保護するため、基本的に一般社団法人アレクサンダーテクニーク教師会(ATK)の勉強会か今後発行予定の「アレクサンダー研究」で最新情報を共有しています。こういった内容はアレクサンダーテクニークへすでに関心を寄せている人向けなので、内容もちょっとマニアックです。

今回の発表では、現在書き起こしているマキニス氏の書き込み(FMアレクサンダー著『自己の使い方(The Use of the Self)』に直接記入)を紹介しました。FM氏の著作は既刊があり、「FM書店」から購入できます。生徒さんが読む分には、日本語版で十分です。しかし、今回のようなものは、結局のところ原著を調べなければなりません。

マキニス氏による書き込み

ここからいくつかマキニス氏の書き込みを紹介します。参考に風媒社版の『自己の使い方』のページ番号を()内で書いておきます。[]内は筆者による追記です。本文から引用した文は参考程度に。

「序文」への書き込み

FM氏は、反応を調整することよりも健康などに対するテクニークの結果を重要視していた。(p. 30)

教育学者たちは、このテクニークが子どもたちのためなると確信するまで、決して「やって来る」ことはないのだろうか。これは、実践を通して徹底的に実証されなければならない。本書では、このワークが主に「治療的」あるいは「医学的」であると考える人が増えるようなことがたくさん書かれている。(p. 30)

「ジョン=デューイ教授による紹介文」への書き込み

それは、実践的な経験によってのみ学べる。言葉では、その方法と実践的な経験の必要性を指摘することしかできない。 (p. 24)

[本文「生徒が特別な条件を使うためには再教育が必要であり、特殊な判断力を養い新たな水準ができるためには、現実的な実践が不可欠である」に対して]この理由で、再教育を必要とするほとんどの人たちは、その必要性を実感しにくい。(p. 24)

「第一章 進化するテクニーク」への書き込み

誤った状態にある使い方の改善が当該ワークの主目的なのか。(p. 38)

[本文「ここに私が直面しなければならない事実があった。この数カ月間やってきた自分の計画では本来、うまく働くように新しい使い方を自己に用いれば全てが間違いと感じる方向へ進むことになっただろうが、同時に正反対のことをやろうとしていて、何が正しい感じかと言うことを指標にして私の感じに信頼をおいて自分がうまくいっているかどうかを計ろうとしていた」に対して]鏡の使い方(p. 68)

「第五章 診断と医療的な訓練」への書き込み

[本文「それでも私はこうした方々を患者としては引き受けず、しかし必ず、生徒として受け入れていることをまず明言しておきたく、それというのも、病気や欠陥を分離したり、相互に関連している有害な状況で使い機能することと切り離して扱ったりすることに、私の興味はほとんど引かれないからだ」に対して]当該ワークは、実際は主に治癒的だった。(p. 153)

[本文「いかに人類が発展の道へ人類を培い、潜在能力を発揮することが不可欠と思いながらいわゆる「精神」や「感情」や「身体」を働かすつもりだったとしても、一方で、人が満足のいく状況を維持して機能するような感覚的道筋に大して必要性を見出さず、こうした潜在能力が現れてくるように省みてこなかったことは、私には奇妙に見える」に対して]これは、感覚的道筋の「背後にある何か」を認識することを意味している。

おわりに

皆さんは彼の書き込みについてどんな印象を受けますか。マキニス氏が書き込んだように、『自己の使い方』ではいくらか治療的な側面を強調したように読めますか。

このワークはFM氏の発見から少しずつ発展してきました。ある時点を観測すれば、 その主張に的を射るものもあれば、とんちんかんなものもあったでしょう。全般的に言えるとするなら、健康に対してFM氏は強く関心を寄せていました。

今回紹介した覚書はすべて1933年に書き込まれたものです。実はまだ100単語ほど未解読なところもあって、いずれは全文公開されるようにします。最後に1936年の書き込みから一部紹介します。

・・・今のところ明確な意見は出せないが、以下に再読した際の意見の一部を紹介する。
1. 感覚的評価[sensory appreciation]は人生のあらゆる部分に影響を与えるに違いない。・・・
2. ・・・誤った使い方や感じ[feeling]を持つ人は、人生に対して良い反応があるのかもしれない・・・

補足1 ガーニー=マキニス氏について1

ウェイマウスの小学校後期課程(Junior School)で教鞭をとっていました。1931年に開校された教師養成コースが始まると彼は参加し(1931~1934年)、AT教師となりました。ウェイマウス・カレッジに勤めている間、個人レッスンと個人活動を行っていました(1936~1939年)。

彼の活動はウェイマウス・カレッジに3つのレポートで提出されました。「リトルスクール」以外で学校に導入した初期の事例です。

補足2 書き込みについて

この書き込みは、1933年の教師養成訓練中と1936年に教師として教えている年に作られました。書き込みによると、4度通読したようです。

草稿 1931年7月
初読 1931年12月~1931年1月
再読 1932年2月~3月
(1933年1月22日)再読 1933年1月、鉛筆で書いた覚書
終了
(1936年2月14日)再読 1936年2月、さらに覚書を追記
[マキニス氏の覚書から]


  1. ‘Gurney MacInnes’ in the Mouritz Companion to the Alexander Technique, https://mouritz.org/companion/article/gurney-macinnes. Retrieved [2022-10-24]. ↩︎

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