The Universal Constant in Living

FM=アレクサンダーの四作目で最後の著作"The Universal Constant in Living"は、1941年米国・1942年英国で発表されました。紹介文はG. E.=コギル教授が書いており、アレクサンダーの発見と自分の発見したアンビストマ科の全体パターンと部分パターンを関連付けて紹介しています。本書の導入を見ると、彼の中では『人類の最高遺産』、『建設的に意識調整するヒト』、『自己の使い方』の三冊でこの仕事を終えたと思われます。

前著『自己の使い方』を終えた私は自分を労いこう考えていた、私は当該主題である私の実践と理論に関してもう書く必要はないだろう、その理由は、詳細に解説してきた進化する私のテクニークとその応用を異なる領域の活動でしていくことについて書いてある、と今後は拙著の中でわかるからである。

それでもいくつか誤解が生じているようで、本書の中でも用語など彼の原理について改めて説明し直しており、「私のテクニークは基盤に抑制を置いており…」とあるように、特に「抑制(inhibition)」を強調しています。「抑制」は『人類の最高遺産』からずっと強調していることで、これがないまま「手段を吟味する(means whereby)」やり方をするのは彼の原理からずれることになるでしょう。本書では「改善された」「習慣的な」「新しい」「直接的な」「非直接的な」と付け加えながら、「end gaining(結果をすぐに得ようとすること)の原理 v.s. means wherebyの原理」の対立構造だけでなく、「means whereby」についての誤解を拭おうと、より詳細に解説しようとしています。そして本書は「恒常的に影響を与える使い方」や理論から実践に置き換えていくことを書いており、デューイが彼のワークに影響されたという理由がわかります。

……相互関係にある公共活動と技術的な哲学に関して彼[デューイ]の主張は、「……私の理論で心身・協調する能動的な要素を持つ自己・位置づけられた考えが抑制と調整される明示的な行為にあること、それらが必要とした繋がりとはFM=アレクサンダー氏のワークであるし、後年には氏の弟、AR氏とのワークである、これらの理論を実在に変換させるために要求された。……」

ジョン=デューイは本書の紹介文を書きませんでした。アレクサンダーが1930年代のアレクサンダーテクニークに関するデューイとの科学研究をダメにしたこと、タスカーが南アフリカに行っている時期だったこと、第二次世界大戦に米国が参戦するかどうかの時期だったことなど、いくつか理由は推測されます。しかし、英国と米国を行き来していた時期にアレクサンダーはコギル教授とレッスンをしており、カーリントンによればコギル教授は「最高の生徒の内の一人」ということ、そして本書の中でアレクサンダーは自分のテクニークを著名人が称賛した文章を引用しているのを見ると、彼は科学的な物言いの力を借りたかったのかもしれません。

アレクサンダーと交流が少なくなっていったデューイは、米国に渡った弟のA.R.=アレクサンダーとワークを続け、フランク=ピアス=ジョーンズが教師養成訓練に参加しようとするときにも励ましの返事を送り、第二次世界大戦中に米国に滞在していたアレクサンダーに生徒も紹介していました。1941年に出版された本書は著者本人からデューイへ送られており、ある時点で彼らの仲は修復されたようです。

現在入手可能なものは、Mouritz出版のCream版とWhite版があります。まずCream版には編集者の紹介文があり初版からの変更点などの紹介、付録には書評とインデックスがあります。White版には付録もインデックスもなく1946年版のアレクサンダーが最後に手を加えたものに近い状態で出版されており、Cream版よりも安価になっています。これらはMouritzから購入可能です。日本語版は現在、ATJ翻訳チームにより翻訳中となっており、2018年には出版予定です。

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