第六部 アレクサンダーの相続とアレクサンダーテクニークの効果に関する研究

彼の亡くなる3ヶ月前、アレクサンダーは新たな決意を示し、末弟バーモントを第一順位の相続人に指名している。このことが導いた意図しない1960年の裁判があり、バーモント=アレクサンダー、I.ジョンソン、ジョン=ヴィカリー、Practitioners of the F. M. Alexander Technique Ltd.アイリーン=スチュワート、ウォルター=カーリントン、ジョン=スキナー、マーガレット=ゴールディー、The Use of the Self Ltd.で争った。結果は、バーモント=アレクサンダー及びその他の者がF=マサイアス=アレクサンダーを商号として使うことやアレクサンダーテクニーク教師の訓練及び認定する権利の独占権を放棄しなければならなかった。この決定が解放した道は全アレクサンダーテクニーク教師に対してアレクサンダーテクニーク教師協会(Society of Teachers of the Alexander Technique・STAT)に入会することであり、協会は1958年に創設し、アレクサンダーテクニークを実践する異なる学校が同時期に生まれ、それぞれ二十数名のアレクサンダーテクニーク教師が彼や彼女自身に特定の教育経験を育んだので、彼や彼女の個人的な理解と解釈をアレクサンダーの手法におこない、いまだに標準化はされていない。1960年代前半、アレクサンダーの著作集は1950年中頃から絶版となっていた。従って、たとえアレクサンダーテクニーク教師養成コースの講師陣が儀式的にそれらの著作に言及したとしても、大望を抱いた教師達はそれらの中身を知らなかっただろう。

1963年以降、アレクサンダーテクニークの認知度は徐々に拡がった。アレクサンダーテクニークに関するいくつかの書籍が大衆に届ける手助けをしたが、緩慢に拡がる流行は主に口伝えの過程でなされており、その過程は新しいクライアントの伝える彼らの手を置かれる(hands-on)体験と紐付けられている。ニコ=ティンバーゲンによる1973年ノーベル賞受賞講演が手助けをしてアレクサンダーテクニークの認知と受け入れを確立した。発表されたティンバーゲンの講演はしかしながら、二誌の有名な科学雑誌の中で論争されることになった。後に、ティンバーゲンの持つアレクサンダーテクニークへの関心は減少し皆無となった。彼の1983年発行の自伝ではアレクサンダーについて言及さえしていない。

1970年代中頃から、アレクサンダーテクニークは、いわゆる補完代替医療(CAM)的な療法の一つとして言及されてきた。1980年代中頃、アレクサンダーの四冊の著作が再販された。そして、それらは継続して出版されている。新たな教師養成コースが英国・他の欧州諸国・豪州・米国で設立された。現在は、2,000人のアレクサンダーテクニーク教師がSTATに認定されており、提携しているアレクサンダーテクニーク教師組合が世界中にある。そして、六十数校の教師養成コースが世界中で存在している。

アレクサンダーが存命の間、一握りにも満たない効果研究が発表された。彼の死後1955年から1970年代まで、ウィルフレッド=バーロウとフランク=ピアス=ジョーンズが臨床試験を公表し、実践されているアレクサンダーテクニークは明確な健康効果を生み出したと示している。彼らの研究はしかしながら、十分なランダム化対照臨床試験の水準を満たしていない。

2003年、E.アーンストとP.H.カンターは電子化文献の検索をMediline、Embase、Amed、CISCOM、Cochrane Library のデータベースでおこなった、それはアレクサンダーテクニークのランダム化臨床試験を見極めるためである。その調査で突き止めた68本の記事のうち4本の記事だけが批評家の包除基準を満たしていた。乏しい恩恵である。今やアレクサンダーテクニークのコミュニティが明確に証明し、根拠に基づき、対照試験を通して、アレクサンダーテクニークは「未知の価値があるとか効果がないとか」いずれでもなく、それ故に医療的な療法だと考慮されるべきだ、と示すべきである。

2004年の研究において、サンジヴ=ジェイン博士・クリスティー=ジャンセン博士・シャロン=ディセル博士が四つの考えられる機構を挙げ、アレクサンダーテクニークに関する文献で理論化された動作は肉体及び精神における双方の機能だと述べており、認知行動過程が影響されると示唆している。たった一つの研究も認知行動的側面でアレクサンダーテクニークを説明するものがないので、私が助言すると、認知行動過程で経験される系統の調査が真っ先に研究されるべきだ、と言おう。

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