後記 仮説、西洋社会における人間の顎の発達と姿勢について

当該学位論文が挑むのはアレクサンダーの神話である。とはいえ確認した神話の重要性は彼自身とその弟子達が理論以上に実践を第一位に置くためであり、アレクサンダー存命中やその後、それらの神話は大部分の科学的な知識を構築するのを邪魔した。私が提案することは、アレクサンダーテクニークの有用性は初めに、全体にわたって科学的で人類学的な理論を通して問われることであり、その目的はアレクサンダーテクニークをその創始者の持つ継承される習慣の生物学的な進化論と優生学的な進化論から解放し、そしてアレクサンダーテクニークを正当な歴史的文脈で社会的な進化論で説明するためだ。

ノルベルト=エリアス・ローリン=ブレイス・J.ミューの研究から抽出した情報を結びつけることで、次の仮説が生じる。「西洋」世界や中国における「文明化」した食べ方では門歯を必要としない。我々の下顎は毎度の食事で「伸張される」ことはない。我々は食物の小さな破片を大きな破片から噛みちぎらない。我々は自分の門歯を噛みしめるために使っていない。すなわち、我々は自分達の門歯を一種の三本目の手という操作工具や他の産物として使っていない。つまり、我々はほとんど自分達の門歯を使っていない。従ってこれらの歯はすり減っていない。そして、臼歯もまたすり減っていない。我々の臼歯がすり減っていない理由は、固い食物を、あるいは生ものや調理されていない食物を我々が食べないからだ。我々は食物をしっかりと噛み砕いていないに違いないし、我々の門歯は一種の三本目の手として同様に使われていない。よって我々の門歯は先端と先端が合う位置になっていないし、我々の臼歯が発達し保持される中心咬合位ではあるが、実際に不正咬合が進化論的な考え方が見られる。

これは文化的進化であり、前世紀の経過における西洋社会の中で起きてきたことだ。文化的進化は遺伝的な変化に当てはまらない。すなわち、それは生理学的変化を含んでいる。「文明化した」人間になっていく漸進的な過程の間、我々の習得したものは口・歯・臼歯を特定のやり方で使うことだ。これは歯と臼歯の咬合に対して、歯列の並びに対して、顔面の成長に対して影響を及ぼす。それはまた筋緊張と伸長する多数の筋肉に影響し、それらは飲み込むこと・食べること・噛むこと・話すことの過程で関わっている。それは伸長したり筋緊張のある筋肉群に影響を及ぼし、下顎と舌骨の間、下顎と頭蓋骨の間、そして他の部位と首の間で例を挙げると、肩甲骨と舌骨にある筋肉とか、胸骨と舌骨の間にある筋肉に作用する。長い過程で到達した最終的な「現代の」咬合に向かう間、それは実際に不正咬合であり、多数のこれら筋肉が歯と臼歯の中心咬合位を取り入れるだろう。これらの筋肉は、一般に、多かれ少なかれ収縮状態が保持されるだろう。その結果として、呼吸の道筋は多かれ少なかれ総量は妨害されるだろうし、それは狭くしている咽頭腔の慣習で生じたと言えよう。これらの適応した筋肉のいくつかは下顎が成長し上顎と比較して引き込ませるやり方が保持されるところから招いたものだ。

徐々に我々の発達させた無意識的な習慣は妨害する影響を呼吸に及ぼしている。我々の無意識的に位置が変わる舌骨が前に行くので上に行き、そして無意識的に傾けて頭は後ろに行くので下に行く。頭と頸椎及び胸椎の間にある筋肉、そして頭と肩甲骨の間にある筋肉が傾けて頭が後ろに行く。ある意味では、いくつか上述した筋肉が習慣的に、多かれ少なかれしっかりと、頭を環椎骨に添えている。これは、順番にそして同時に、波及する。その影響は我々の姿勢やあらゆる動作をする身体全体に及ぼすだろう。レイモンド=ダートの主張は正しく、「座りがちではなく文明化も少ない人間は、たいてい、より良い姿勢を獲得しており都会の住民以上だ」と述べている。エリアスやブレイスやミューの理論がダートの分析を支持している。

いったん大人の顔面発達が成し遂げられると、アレクサンダーテクニークを実践するか、あるいは何か他の療法を実践する、そんなことをしても、完全に調整されて下顎が上顎と比較して「進化論的に正しい」位置になることは決してないだろう。中心咬合位あるいは誤って形成された不正咬合としていったん我々が門歯の先端同士の位置を合わせるのに失敗したものがなくなることはないだろう。我々の下顎は引き込ませたところに留まる、すなわち、我々の歯と臼歯はすり減らない。習慣的に使っている歯や口や臼歯は文明化された様式の中でこのことを邪魔する。従って、我々の習慣的に使っていたり呼吸していたり動作していいたりする肉体は決して、アレクサンダーと彼の弟子達が描いたように完璧に変化させることはできない。

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