訪日したデューイと意識調整

池田 智紀

以下は、1919年にジョン・デューイが訪日した際に家人へ宛てた手紙から抜粋したものです。西洋文化を基本とした当該ワークへの科学偏重や他分野の土俵に立って語ることで、アレクサンダー氏の哲学はもはや消える方向へ行っているのではないでしょうか。過去には我らの暮らしに意識調整がありました。

2月22日

・・・私達は道場に行き、昔の武士の女性がおこなう剣道と長刀訓練といったものを見学しました。師範は七五歳の女性で、猫のようにしなやかですばやい人でした。その優雅さはどの少女達よりも上でした。私は現在、身体文化とみなされている古い礼儀作法と儀式にとても敬意を表しています。あらゆる動作が完璧になされなければならず、意識調整なしには実行できません。子供達による近代化されたジムの教練(エクササイズ)は単に哀れなものだ、とこれら全ての式典と比較するとそう思えました。

J. Dewey and A. C. Dewey (1920), Letter from China and Japan, E. P. Dutton, p. 30.

3月10日

昨日、私達は能楽を初めて味わいました。・・・彼らがそのような並外れた芸術性と技術をなしとげていなければ、おそらく愚かものだと、やはり外国人にとってはそう見えるでしょうが、彼らはいかにも魅力的であり、言葉にしにくいことですが、根源的な魅力は完璧なテクニークを考慮せずに語ることはできません。意識調整は確かに日本で生まれ育まれました。

J. Dewey and A. C. Dewey (1920), Letter from China and Japan, E. P. Dutton, pp. 53-54.

4月1日

・・・他の体験で柔道の見学について書いていませんでした。偉大な柔道熟練者[嘉納治五郎]は普通学校の校長で、彼は専門家らによる特別な公開試合を私のためにしてくれ、それぞれの部で前もって解説をしてくれました。日曜の朝に大きな柔道館で開催され、「自由」に研究している多くの二人組がいました。彼らはあまりにも速く私の目では何も見ることができませんが、彼らは突然ある人の背中を超えて投げて床に倒されました。確かに芸術です。先生は古い慣例をとりあげて研究し、それらの機構的な原理を解明し、そして次に段階的な科学的訓練を考案しました。その体系は本当にたくさんの裏技はありませんが基盤があり、機構の基本法則、研究された人体の均衡とそれが乱されるやり方、いかにして自分で回復するのか、そして他者の重心移動を利用することがあげられます。・・・精神的要素がはるかに強いです。要するに、ここで研究すべきことが意識調整の観点からあると思います。アレクサンダー氏へ、ハリソン氏という氏の同国人が書いた本を図書館で手に入れるように伝えてください、『日本の気合い(The Fighting Spirit of Japan)』と言います。記者の本なので、深めていく意図はありませんが、興味深いものであり、信頼できると言われています。私が柔道で気づいたことは、これらの人々は皆引き締まったくびれを持っていることです。彼らは常に腹から呼吸をしています。上腕二頭筋は特別大きくはありませんが、前腕は私が今まで見てきたものよりも大きくなっています。私がまだみたこともないのは、日本人が立ち上がるときに頭を後ろに投げ出しているところです。軍隊で彼らは、非直接的な方法として深い呼吸をしており、それは本当にさかのぼると仏教の禅の教えまで行き、昔の武士が持っていたものです。

Dewey and A. C. Dewey (1920), Letter from China and Japan, E. P. Dutton, pp. 93-94.

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