ATK中国地区勉強会
ATKの勉強会の写真とレポートをまとめました。
目次
2015年8月
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2015年9月
ATK中国地区勉強会は『人類の最高遺産』の第一部 第一章 「旧式な状況から現代的な必要へ」の読み合わせをしました。
各支部の勉強会はATK会員なら誰でも参加可能です。
中国地区の勉強会ではアレクサンダーテクニーク創始者のFMアレクサンダーの著作を今後も読み合わせて文献研究していきます。 11月23日に広島でATK中国地区の勉強会を開催しました。
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2015年11月
『自己の使い方』より第一章「進化するテクニーク」
観察ということをテーマにおこないました。感じ基づいたものではなく知覚で観察したものをみたまま言うことをしています。FM氏の最初に始めた実験は鏡を使って自分自身を観察することから始まっています。『自己の使い方』にはその後の実験でもあてにならない感覚的評価に惑わされながら何とか進めていく実験過程を読むことができます。
忍耐強くやるより他無かった。実験を辛抱強く何ヶ月も続けた。ここまでやって様々な経験をし、ちょっとうまくいったりダメだったりしたのだが、たいして喜ばしいことはなかった。(『自己の使い方』より)
『人類の最高遺産』より第一部第二章「旧式の治療方法とその副作用」
前回の勉強会からおこなっている議論を中心とした本読みです。手引き書を副教材に読み込んでいきます。
今回のことで一つ、カッコ付きの「身体文化」、『人類の最高遺産』でFM氏は
・・・「一連の機械的(mechanical)練習、単純なものでも複雑なものでも身体機能を強化させるために設計され、特定の筋肉群か筋肉系全体を発達させようというもの」という意味合いで使うが、・・・
と定義しています。FM氏のワークが単にボディワークや身体の使い方と紹介されていることがありますがカッコ付きの「身体文化」と勘違いされていないかな?
※身体文化(physical-calture)について訳注から引用、「身体文化は体育と訳すこともできる。我が国における「体育」教育の印象が強すぎるのであえて「身体文化」を採用した。」(『人類の最高遺産』より)
もしアレクサンダーテクニークについてお調べになるなら、創始者の著作からあたることをお薦めしています。レッスンでは著作の内容も含めてアレクサンダーテクニークの紹介ができますのでお問い合わせください。
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2016年1月
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2016年3月
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2016年5月
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2016年7月
中国地区ではFM氏の著作を順番に、事前に読んできて議論と実験をしています。
今回は『自己の使い方』から第五章「診断と医学的な訓練」と『人類の最高遺産』から第一部第五章「意識的調整を応用する(当該原理の概念を含む)」についておこないました。
自己の使い方担当のRieさん(アレクサンダーテクニークジャパン広島教室)は、教育と医療の違いについて、医療に関わっていた時代に考えていた全体と教育・意識的調整での「全体」の差を発表してくれました。
人類の最高遺産の担当は池田です。毎回、勉強会で使用しているスタディガイドはその章ごとに翻訳していましたが、今回の章は1918年に追加されたためスタディガイドに載っていませんでした。なので、質問表を自分で作成しました。FM氏の著作は読むたびに新しい発見や示唆がありますが、読み返しながら自分で質問を作成することはまた違った読み方がありました。
ATKは教師が自分達で学ぶ場をサポートもしています。
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2016年9月
『自己の使い方』付録-リトルスクール
意識的調整・ワークスクールのRieさん担当で『自己の使い方』にある「リトルスクール」について発表がありました。付録の基になるエピソードはアイリーン=タスカー女史の『Connecting Links』にあります。彼女は1924年に開校されたリトルスクールの校長で、1931年にFM氏が監督する教師養成コースが開始される前に、氏によって教師・アシスタントとして認められた方です。
Evans女史の『Frederick Matthias Alexander』という伝記によると「インドから自宅に送還された少年」はタスカー女史の甥(p.175)のようです。タスカー女史によるとFM氏に「彼[少年]が私の保護下にあるので私が[アレクサンダー]氏のテクニークのレッスンと学校の全授業とを繋げられないでしょうか」と相談したら、「これこそまさに我々の欲する機会になるかもしれない」とお返事をもらったようです(Connecting Links, p.20)。『人類の最高遺産』を見ると第一部六章の最後に「私は今のままで全く満足しています」と言う方へ「子ども達はどうするのか」と返しています(人類の最高遺産, p.122)。そしてその次の章の題に「民族文化と子どもの訓練」と付けられているところを見ると、FM氏が子どもの教育に対して大きな関心を持っていたとわかります。
リトルスクールと教師養成コースとの関係性について。タスカー女史はFM氏の言葉を思い出しています。FM氏は「これで我々は教師養成コースを始められる。」(Connecting Links, p.6)と述べたようです。教師養成コース(1931年開校)の練習生は経験を十分に積んだ後、リトルスクールの子ども達を教える機会を得ていました。リトルスクールはアシュリープレイス16番地で始まり、ペンヒルに移り、戦時中にはアメリカへ移動して継続されました。しかし1943年中頃に英国へFM氏が戻ったとき、戦争による建物へのダメージもあったためにリトルスクールは再開されませんでした。
リトルスクールの様子はタスカー女史の『Connecting Links』やDVD『F. M. Alexander 1949-50』などで知ることができます。これらの他にも当時を思い出したインタビューが記録されたものなどもあります。それから教師養成コースの様子はルーリー=ウェストフェルト女史の『The Man and his Work』にあります。彼女は第一期の練習生(当時はpupilと区別してstudentと呼ばれ、現在はtrainee)で、読むと当時のFM氏の言動や人柄がわかります。最初の教師養成訓練の練習生達はFM氏の言動で困惑させられることが多かったようです。ちなみに1918年の改訂版『人類の最高遺産』を始めFM氏の著作はタスカー女史やウェブ女史、デューイ博士やカーリントン氏などにかなり手助けされたようです。
Rieさんによる今回のレポートはこちらにあります。
『人類の最高遺産』第一部第六章「習慣的な思考が及ぶ肉体」
勉強会後半は『人類の最高遺産』から「習慣的な思考が及ぶ肉体」をおこないました。FM氏はこの章の最初に「……患者(patient)は言われたように作業することはできるかもしれないが、言われたように思考することはやろうともしないしおそらく不可能だ。(p.99)」と問題点を述べています。この問題は医療だけでなく教育などにも適用でき、もちろんアレクサンダーテクニークのレッスンでも同様と思います。言われたように作業できる人は現代でもいい患者・生徒だと言われることでしょう。
次に精神病院の症例で「なぜ狂気が発達するように促されているのか」というところでFM氏には推測したことがあり、「初めはおそらくわざとそうした態度を取って独りよがりな結果を得ようとしていたのであり……それを継続するうちに、初めはわざとしていた態度がそのうちに固定化された習慣となってしまい、その結果として、調整不能に陥ったのだ(p.100)」と、だから意識的調整をできるように求めていく際には「実際の行動に対する指示に先立って、精神的な態度を改めることが優先されなければならない。(p.100)」と言っています。
さて、表題「習慣的な思考が及ぶ肉体」とあるようにFM氏の実体験で「習慣的な思考が、肉体的に健全に回復する際の妨げ、というよりいかに巨大な邪魔となるか、私は思い知らされてきました。(p.107)」とありますが、ワークの中では習慣の大小に関わりなく気づきを持って認識するところから始まります。しかし、この章ではもしかしたら「体の使い方」だと、一部分を取り上げてそのような印象を受けるかもしれません。しかし「……偏見や先入観という習慣が心にあるから、我々は初めから邪魔されているとしょっちゅう気がつき、そうすると、すぐにこの偏見はいろいろな興味深い形式となって現れてくる。(p.117)」と、また先ほど引用した「実際の行動に対する指示に先立って……(p.100)」とあるように、結果としての行為や動作が習慣的な思考が及んで生じているならば、それを放って再教育はできないでしょう。
FM氏は「いろいろな努力で精神的な習慣を捕まえ調整するにあたり、以前からの惰性を克服することが全部の中で最初にぶつかるたった一つの真なる障害であるし……(p.122)」と述べています。この惰性を克服することは困難を伴う場合もあるでしょう。というのも「変化に含まれる行為は抵抗して習慣的な生き方に抗うことだ(アフォリズムから)」とFM氏は誰かのレッスンで述べたように、もし原因が人生上で習慣的に生じているものだとしたら、それを抑制し、新しく方向付けられた道筋で進んで行くことは大変だからです。最後にFM氏は「私は今のままで満足しています」と言っている方に二つのことを述べています、一つ目は皆さんは「習慣の奴隷」だと、二つ目に「子ども達はどうするのか」と(pp.122-123)。そういったFM氏の主張が教育における意識調整の必要性を教えてくれます。
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2016年10月
『人類の最高遺産』第一部 第七章「人類文化と子どもの訓練」、『テクニークの真髄・アレクサンダーテクニーク、私はこのように観る』第二章「このテクニークを習得するには」をおこないました。毎回少人数で議論と実践を研究しています。
人類文化と子どもの訓練
子どもの学習についてFM氏は第一に模倣、第二に規則と直接管理的な指示の二つの手法を示しています。模倣は周囲の環境に適応しようと幼少期に積極的におこなわれていますが、大人でも同様に模倣はされているでしょう。幼少期は特にそのモデルになる人の使い方によって様々な習慣が形成され、そこでは必要なものも不要なものも習得されることになります。FM氏は「父母の性格を分析して欠点や悪癖が判明した時でさえ、その子ども達には適正な訓練をすれば予防できる(p.126)」と述べています。
子どもが悪癖を習得する例として砂糖を加えた人工授乳(pp.126-127)が挙げられており、「赤ちゃん時代でさえ、ある種の規則と矯正がもたらされるべき(p.127)」だと述べています。ネグレクトは問題として明確になりやすいけれども、不必要に構い過ぎることも問題だということになります。模倣によって無意識に習慣化された使い方に気づくには外からの手助けが必要かもしれません。
この章ではその他に右利き優先主義の話が出てきます。伝記によればFM氏は左利きで、書く時に右手で書くように自己訓練をしたようです(F.M.: The Lif of Frederick Matthias Alexander, p.23)。現代では左利きを矯正することは一昔前の教育になっています。時代や文化の背景が違うため、いくつかの話はFM氏の生きていた当時と異なり、古いし馴染みがないと感じるものもあるかもしれません。それでもこういった事例を現代社会の問題に置き換えて利用できそうです。
FM氏は教育において、「心身の使い方を培うことが第一に必須」だと考えており、誤った考えが子供らに伝えられてしまったとき、「教師は痛みを共有し、こうした先入観を理解した上でその部分と関わるにあたり、そのまま上塗りするのを避け、そうした先入観を出来るだけ取り除き、そして初めて、教えたり新たに適正な考えを伝達したりすべきだ」と述べています(p.149)。FM氏はアイリーン・タスカー女史と1924年にリトルスクールを立ち上げており、子どもの教育に関わってきました。FM氏が子ども達の教育に期待していたことは次の一節からわかります。
私の求めるものは子どもたちを訓練する手法であると既にわかっており、その手法を通せば、子どもは自らの肉体の御者となるだろう、すなわち、子どもがそのように教えられ訓練される時が来るのを私は待ち望んでいて、後ほど彼らがどんな環境に置かれたとしても、無駄な努力をすることなしに自分で環境にうまく適応して、喜びを持って、完全に健康な精神と肉体で人生を送れるようにあって欲しい。(『人類の最高遺産』風媒社、 p.156から)
このテクニークを習得するには
第一世代の一人、パトリックーマクドナルド氏の著作『アレクサンダーテクニーク、私はこのように観る(The Alexander Technique as I see it)』を今回から始めました。『自己の使い方』を一通りやったので第一章「アレクサンダーの発見」は後回しにしています。用語についてマクドナルド氏によると「用語として「抑制」・「頭を前に上にやる」・「背中が長く広くなる」などを使ったのはアレクサンダー氏であり、他にやりようが内から専門用語にして自分の考えを伝達しようとしたまでで、そうした用語が意味を持つとしても限定的に、生徒としての実体験があり当該テクニークを訓練したことのある者に対してである。もう一つこころにとめておくべきことがあり、こうした意味は固定されているどころか逆に、時と共に成長し実体験が増加するにつれて変わることだ。(p.74)」とあります。
体験に即してた言語的な指示を教師から与えられた生徒は復唱するしかなく、「努力して意味付けするなどまったくしてはいけない」とマクドナルド氏(p.75)。あてにならない感覚的評価(faulty sensory appreciation)という用語がレッスンの中で説明されるかもしれませんが、知覚したことに対するこの評価があてにならないので、例えば「首が楽に」と方向付けがあっても失敗することになります。そこでマクドナルド氏は、「初期段階における生徒が試みなくてはいけないのは、あえて自分の感じに注意を払わないこと(p.75)」だと述べています。初期段階ではもしかしたらこの考えは有効に働くかもしれませんが、いつまでもそれをそのまま継続してよいものでしょうか。
習得に必要なものとして「受容(少なくともまず理論的に、その後で実践的に)することになり、それは完全に正反対なやり方であり、身体について考えられたりワークされたりしてきたことの裏返しになる、とわかるとだろう(p.82)」とマクドナルド氏は述べています。様々な信念体系や先入観などそういったもので習慣的に懐疑的になるのを抑制してまずは受け入れてみるというのが必要だということのようです。
原本の昨年出版された新版にはマクドナルド氏がワークをしているDVDが付属しています。興味がある方は合わせてご覧になると参考になるかもしれません。本書はワークに来てくださった方に内部資料としてお渡ししています。
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