私の「自己の使い方」
教育実習前に課された課題の一つ。文章は当時のまま。訓練課程で起きた変化をまとめた。「『自己の使い方』「進化するテクニーク」要約」とセット。
池田 智紀
初めてATのワークを受けるきっかけとなったのは、腰痛でボディマッピングの講座を受けたことだ。講座の後、それだけでは足りないと思ってトランペットの演奏をより上達させるためにATのワークを受けようと決めた。2009年の夏だった。
腰痛の原因は演奏の仕方だと思っていたものの、使い方という考えは、ボディマッピングを受講した際の自分では考えられなかった。なぜならその時は正しい解剖図に自分自身の身体を当てはめようとして結果的に余計なことをしていたからだ。
腰痛に至った時の使い方を思い出すと、音を出す際に頭を後ろに押し下げ、胸は前に上に行って腰は反っており、背中は狭くなり、重心はつま先のほうへ行ってかかとに重さが伝わっていない状態であり、腹式呼吸をしていた。
私がやっていた腹式呼吸というのは、吸気のときは腹部を膨らませ、呼気のときはへこませるように動かす呼吸だった。この呼吸法は楽器を始めた当初(8歳)、楽器を触る前の数週間の間にこのやり方を指導された。初めは意識をしてわざとしていたが、次第に意識をしなくてもできるようになった。つまり楽器を演奏するとき以外の日常でも意識せずにできるほど一生懸命練習したのだ。
小学校・中学校時代は楽器を吹くことに一生懸命で、先輩や演奏家の指導を受けたものの演奏法というものについて考えていなかった。自身の練習法や演奏法に興味をもったのは、高校に入ってコンクールへのメンバー枠の競争が出てからだった。この時の練習法は練習の内容よりも練習量だった。練習内容は教則本の課題と交響楽団から学校に招かれた演奏家の人から指導されたもので、練習は長い時で8時間も練習していた。また、痛みをもたらした使い方をより増長させたのはマーチングだと思われる。
マーチングでは、楽器のベルを前面に向けるために首を縮めることでそれをしていた。さまざまな方向へ歩きながら演奏するが、胸を前に出し脚を固め、例えば前進するときはつま先を上にあげるために足の甲を縮めながら歩き、後進するときはつま先に重心がありかかとはあがってふくらはぎは縮んでいた。このマーチングもメンバーを決めるオーディションがあり、かなりの練習をした。
大学に入ると競争自体は無くなったが、一生懸命やる練習や演奏のやり方は変わっていなかった。時間があれば何時間でも練習しており、練習がうまくいったかどうかは、教則本に載せられている楽譜をできるかできないか、あるいはその時間や疲労の程度で判断していた。今から考えると、うまくなるための練習をどのようにするかではなく、課題の何をしたかで判断しており、そのなかで「正しい」演奏法や「良い」演奏法を探そうとしていた。
演奏がうまくなるために「良い」と考えて10年以上も継続した練習法だったが、その結果として腰痛になり、また自分が納得する方向へ上達したのかと聞かれたら全くそうではなかった。実際ATを始めるまで私は「うまい演奏」とは「演奏テクニックがうまい演奏」であると考えていたし、そう思っていることにさえ気付いていなかった。だからその信念をもって一生懸命練習していた。今になって考えと、ATによって初めて自分自身が音楽と向き合えたと思う。
ATの最初の体験は衝撃的だった。まるで自分ではないみたいだった。しかし、このときでも自分がやっていたことには気付いていなかった。体験したときの方向を出しているつもりで動かそうとしていたり、何を抑制したらいいのかわかっていなかった。
練習生になる以前のレッスンでは、そのとき感じた体験を感じにもとづいてしていた。練習生になってからは授業が進むにつれて気付きが増えていった。まず、冒頭で述べた痛みへ至った使い方は楽器を吹こうと思った時に始まっていたということに気付く。その兆候は楽器を手に持っていても手に取ろうとしてもそう思ったときに始まった。初めは大学での演奏会もいくらかあったので、その合間に、それを抑制する練習をした。しかしうまくいかなかった。なぜなら他の人と合わせようとすると抑制することを忘れるだけでなく、抑制をしようとして何か別の「正しい」演奏のやり方をしようとしていたからだ。呼吸も同様に、腹式呼吸はよくないと分かったから別の「自然な」呼吸をしようとしていた。
その後数か月間、演奏会にでる機会がない時期があった。その時期に私は思い直してみた。まず、楽器を手に持つ前に、頭が下に行くことを抑制して、首が楽になると思って楽器に手を近づけた。手を伸ばすと、手首を縮めながら手首から楽器に近づき、それに連動して肩が下がるのに気が付いた。今度はそれも抑制しながら指先から近づくと思って楽器へ手を伸ばした。しかし、手首を縮めて手首から楽器に近づくやり方の方が優勢だった。そのため楽器を持つことをせず、抑制を続けながら触るだけにしたりなど別の手段をとってみた。
しばらく後、楽器を持つところまでやり、手に持った楽器を口に近づけるようにしてみた。しかし、楽器を自分の口に近づけるはずであるのに、あるところまで楽器がくると背中を反って頭を引き下げながら楽器を近づけようとしているのに気がついた。その時同時に、肩を下へ引き下げて脇を閉じていて腕も縮んでいた。縮みながら楽器を自分の方へ近づけていたのだ。
練習をしていくと以前よりは抑制ができてうまくいくことが増えてきた。しかし、手に持って口元へ持ってこようとしたら以前のやり方が現れた。調べていくと、楽器を近づけるときに楽器から離れて身長が縮む方向へ行くやり方のほかに、それをやめようとして楽器の方へ頭を引き下げながら近づけようとしていることに気がついた。それは実際に抑制することができておらず、あるやり方をやめるために別のやり方をしているだけだった。自分が楽器へ近づくことも楽器から離れることも抑制しながら楽器を自分の口元へ持っていくことが必要だった。
楽器を口元へ持ってくることがいくらかできた後、ここで「さぁ吹くぞ」と思った時、長年の間練習してきた腹式呼吸が起きた。音を出す直前に、以前のやり方である背中を縮めてお腹を膨らましながら口から息を吸おうとしていた。私は腹式呼吸を抑制しようとした。しかし、このとき腹式呼吸に代わる別の呼吸法をしようとしており、ただ別のやり方をしようとするだけだった。そこで、呼吸のことを考えるよりも、首が楽になることや楽器を演奏するのに必要なことを考える必要があった。
これまでの期間は約3か月ほどだった。この間ほとんど音を出すことはできず、楽器を口元まで持ってきて、音を出そうとした瞬間に起こる身長が短くなる動きを抑制して、それが起こりそうになったときは楽器を置いたり、唇を振動させずに息だけ吹き入れたり別の行為をした。以前よりも少しはうまくいくようになってきて、音を出して練習することにした。それは2011年3月ごろからだった。
ATを始める以前よりも使い方の改善がみられた。それは特に中音域の吹きやすいところだった。しかし、低音域では頭が前に下に行って喉頭を押しつぶしており、高音域では頭が後ろに下に行って同様に喉頭を押しつぶしていた。この音域によって頭を動かすようなテクニックは高校時代にプロの演奏家から指導されたものだった。中音域の1つの音を出すことは自身の使い方を意識できた。次にそれを持続させながら出した音の半音下あるいは上に移動することにした。しかし、音域が低くなればなるほど、あるいは高くなればなるほど頭が下に行く度合いは増えた。さらに、それは頭を下げているだけではなく腕と手も自分の身体の方へ引き込んでおり、全体を縮ませながら音を変えていることに気付いた。
1つ1つのプロセスを追って1つの音を出すところまで行き、さらにその次の音へ行く。そうすると、以前の使い方の音色とは別のものになっており、音が共鳴しているように聞こえた。以前と比較すると、以前のやり方は響かせている感じでただ力んでおり、プライマリーコントロールが働かないようなやり方で、感覚的評価をあてにしていた。しかし、この音を出すプロセスでは、楽器が口に接触した時点でもう馴染みのない感じがして、音を出している感じはなく、ただ唇が振動して音だけがでているようだった。ここまできて、以前は音を出すときに引っ掛かりあったことに気付くことができ、つまり、今ではその引っ掛かりなしで音を出すことができることが増えてきたのである。
ここまでくると曲をするようになった。以前までの曲の練習の仕方は音符を並べて間違えずに演奏できるという意味で譜面通りにできているかということが重要だと考えていた。しかし、ATを継続していくことでそうではないとわかった。
以前のやり方では、ただ身長が短くなるやり方を繰り返しながらやっているだけだった。さらに技術的に困難なところに差し掛かるとその度合いが増しており、そのままのやり方でできるように反復していた。そうなるとただ固くなるやり方を増長しているだけであって、うまくなりたいという目的で練習していても、実際にうまくいっていないことに気付かずに毎日長時間続けていた。
レッスンの継続で使い方の改善がみられてから曲のやり方も変わった。まず曲を演奏する以前に曲を分析することが必要だった。以前にもこの分析はやることはやっていたが、和音の並びや形式、音楽史の理論だけだった。しかし他にも分析できることがあった。作曲家が暮らしていた当時をどのように見て、考えて、体験していたかを情報を知ることで想像することができる。そのうえで曲の中にも物語があるということを想像することが必要だった。
1つの曲を十分に分析でき、演奏をする前に自己の使い方があり、そうするとその曲を演奏することができた。それは以前ただ反復していた曲の練習よりも演奏技術の困難も少なく、音楽的に自分が思う方へ演奏することができた。しかし、そこには演奏ができている感じはなく、ただ音楽が聞こえるだけだった。技術的に困難な部分もただひたすら反復するのではなく、口ずさむなど思い直して違う手段をとることができた。そうすると、困難などほとんどなく、以前は何度も時間をかけて練習していたものが、すぐにできた。
練習や曲を意識的調整がないままやろうとしていた時よりも、練習時間は必然的に短縮された。その代り、音階と1つの音を出すことへの練習が増えた。それは初めに自己の使い方があって達成できた。
まとめると、原因は正しい演奏法で吹こうという信念があり、その思い方で頭を引き下げて、胸は前に上に行って腰は反っており、背中は狭くなり、身長が短くなるような使い方をしていた。したがって、これらの傾向を抑制し、正しい演奏法をすることを考えるよりも、演奏自体に必要なことを順番に考える。そうするとそれまでやっていた傾向の程度が減ってきた。結果として起こっていた過去の腰痛を気にすることさえなくなり、演奏は楽器を吹いている感じが減って、演奏だけになってきた。
予期せぬ結果として、なんとなく嫌だった人ごみが平気になったり、毎年あった花粉症が改善された。また、ステージにあがる直前に何も考えられなくなるということもなくなった。つまり、あがるということが以前よりも解消されたのだ。